対談・インタビュー

【特集】誰もが最後まで自分らしく暮らせる「まち」 那須まちづくり広場

お金、住まい、孤独…。老後の不安は尽きない。老いても幸せと思えるには、何が必要なのだろうか?その手がかりを示してくれたのが、栃木県那須町で多世代共生型コミュニティ「那須まちづくり広場」を運営する近山恵子さん。「人間、一人では暮らせませんよ。助け合って暮らすのが本来の姿」。笑顔は太陽のように輝き、語る言葉には情熱が込められている。コミュニティ実現までの道のりと、老いてもおひとりさまでも、障がいがあっても豊かに暮らせる社会。それが実現できる視点とは。


臨床検査技師を経て、母親の介護をきっかけに任意団体生活科学研究所(現・社団法人コミュニティネットワーク協会)を設立し、副会長に就任。これまでに「友だち村」や「ゆいま~る」シリーズなど多くの高齢者住宅をプロデュース。2018年から那須まちづくり株式会社代表。著書に『私が選ぶ高齢期のすまい活』『どこで、誰と、どう暮らす?』(共に共著:彩流社)


2017年、栃木県那須町で廃校となった小学校を活用し、少子高齢社会への対応策として新たな拠点となる「那須まちづくり広場」の取り組みが始まった。

その中心となる元校舎は、多世代コミュニティの交流拠点。地元の新鮮野菜や自然食品、手作り品の販売コーナーや、食事もできるカフェ、誰でも借りられる図書・絵本コーナーがあり、毎月、音楽や講演など、多様な催しを開催しているホールも並ぶ。

住宅は、3種類。元校庭には、自立の方向けのサービス付き高齢者住宅(以下、サ高住)が新設され、屋内プールを改修したスペースには、介護が必要な方向けのサ高住、そして、校舎2階に賃貸住宅がある。地域に住む人や働く人、また買い物や食事、お茶を楽しみに訪れる人が集まり、交流できる場になっている。

コミュニティカフェ「ここ」
賃貸なのに間取りを自由にアレンジできる「広場の家・那須1」

近山さんは、母親の介護をきっかけに、高齢者の住環境の課題に強い問題意識を持つようになり、1990年ごろから老いても自分らしく暮らすことをテーマとしたまちづくりに取り組むようになった。

「母が脳梗塞になり、寝たきり状態になっちゃって。病院は病気を治すところで、暮らすところじゃないからと、次の居場所に特別養護老人ホームを勧められてね。

見学に行き、大部屋に入ると、隣のベッドとの仕切りはカーテンのみ。オムツ替えはカーテンを開けたまま行われ、人間の尊厳などあったものではない。施設内には強烈なアンモニア臭が漂っているのに、適切なケアの改善をするわけではなく、大量の木炭を置いて消臭する方が、まだましという時代でした。

紹介された施設はそんな感じで、母自身も入居を拒み、いや応なしに自宅に戻る選択をしました。そこから設計士の友人のカを借り、家をバリアフリーにして、母と娘の二人暮らしが始まったんです」

母親の介護を通して、近山さんは終末期を「完成期」と呼ぶようになった。

「最も必要なのは、完成期にふさわしい支援をしてくれる人材なんですよね。母親はもう一度自分の足で歩きたいと願っていたから、リハビリ病院までの送迎だけをしてほしかったんだけど。当時は介護保険制度もなく、介護タクシーもなく、支援は、友人か家政婦紹介所に頼るしかなかったの。当たり前の話ですが、家政婦で送迎をする方はなく、それで友人を登録して、母専属の家政婦になってもらいました」

那須まちづくり広場と周辺のスーパー、病院、温泉などを送迎するサービスも

多くの高齢者住宅のプロデュースをした近山さんは、「別に高齢者住宅の事業をしたいわけじゃないの。誰もが、自分らしく暮らしたいと思ったときに、足りないものがあって、それを何とかできるならやってみようってね。私たちの事業は、困り事の解決なんです」

多世代が抱える困り事の解決拠点を、なぜ那須町にしたのかうかがうと、

「別荘を買ってすでに定住している高齢者が多く、町の人口の半分程度が移住者というのが大きかったから。生活の価値観が近い人が周りにいると、暮らしやすいし、まちづくりがしやすいと思ったんです」

ただ、少子高齢社会に新しいコミュニティを作るとき、地元の人との交流は、美談だけでは語れないとも言う。

「その土地の先人が築いた文化と財産の上に、足りないものを足し算させてもらうのが、移住者の役目。そうやって助け合うことで『お互いさま』の関係が生まれていくんです」

「人は本来、生まれてから死ぬまで多世代で助け合い、一人では生きていけないものでしょ。

私は巨大団地の再生も手がけましたが、日本は高度経済成長期に地方の多世代コミュニティを壊し、若い労働力を『金の卵』といって、都会の団地に集団で住まわせることをしました。その結果、その団地は同じ世代だけの集まりになっちゃった。

私たちが、2005年に、板橋区の高島平団地の再生に関わった際、高齢化率は40%弱に達していました。この団地は空き室問題も抱えていたため、空き室をバリアフリーに改修し、分散型のサ高住『ゆいま~る高島平』を開設したんです。

一棟丸ごとをサ高住にするのではなく、隣には子育て中の家族も住んでいる状態です。高齢者のニーズは、自由な暮らし、多世代交流、住み慣れたところで暮らしたい。この3つ。これは、ここ40年変わっていません」

那須まちづくり広場の原型の一つになったという、こんなエピソードも。

「友人の息子さんが生きづらさを抱えていると相談を受けたので、当時、団地再生のために、団地に住み込んでいたから、母親に息子さんと離れて、私たちと一緒に住んでみないかと提案しました。

息子さんとは別居して、私たちと同居を始めたら、息子さんは『お母さんを助けたい』と言って、自宅から片道1時間半かけて通っていました。

団地の人たちは助け合いが普通だから、その子を見かけると、初日から『コーヒー飲む?』って、声をかけて。評価が介在しない関係性が彼を変え、今ではフルタイムでラーメン屋さんで働いていますよ。

他にもこの団地では、夜しか起きていられない子がいて。PCが得意だったから、『おばちゃんたちにPCを教えてよ』と頼んだことをきっかけに、日中でも活動できるようになってね。その子は、デイサービスで正社員として働いているんだぁ。こんな風に誰にでも役割があって、多世代が一緒に暮らす環境だからこそ、素敵な出来事が生まれるんですね」

人は年を取るとできないことが増え、自信を失い引きこもりがちになり、周囲との関係も希薄になることも。老いても生きがいを感じて過ごすためのキーポイントは?

「役割があることが重要。生まれたからには、人は誰でも死ぬまで何らかの役割があるんだよ。いや、私は死んでも役割はあると思うな。

私たちの師匠であり、女性解放運動家である小西綾さんや、女性学を専門とされていた駒尺喜美さんは、すでに亡くなられましたが、それでもふと『彼女たちが生きていたらこのことについてどう考えるのだろう』と思うんです。だからこそ、たとえ命が尽きても、“生き方を残す”ことが大事ですよね」

近山さんは、「役割を得るには自分にできることをわかってもらう必要があり、そのためには誰もが表現者にならなければならない」と強調する。

自分を表現できると、今まで出会わなかった人、異なる価値観を持つ人、やりたいことを一緒にできる仲間と出会い、世界が広がる。

那須まちづくり広場では、これまで家庭内でアイデンティティを見つけられなかった人も自分の価値に気づき、入居後に広場内や地域で働き始めた例もある。

「障がいがあってもPCが得意だったり、コーヒーを淹れるのが上手だったり、人それぞれ強みがあるでしょう。それを活かして経済的に自立できる機能を備えたまちにする必要があります。

今の社会では、高齢者、障がい者といった立場の弱い人が、自分を表現しづらい傾向がある。でも、その弱さこそが資源です。障がい者をはじめ、弱い立場の人々が働き、自立できるまちづくりが求められると思います」

完成期を自分らしく生きるには、自ら未来を描き、優先事項や譲れないことを決めることが必要。そのため、近山さんは「私の生活設計」をテーマにした講座を各地で開催している。

「この講座では、自分の人生は自分でつくるという考え方のもと、仮の死期を想定して、そのときまでに自分がどのような生活を送り、完成期を迎えたいかを考え、仮の生活設計を立てます。

特に女性は、他者のために生きる訓練を長年させられてきた人も多いので、突然パートナーや親と離別、死別をしたときに、自分のライフプランがないとあわててしまうでしょ。生活設計をA案〜C案まで書き出し、実現可能なプランが見えると、自分で自由になるお金をいくらくらい持っておこうとか、具体的にやるべきことが見えてくるんです。

介護施設へのご入居を検討する際に、重要だと常に感じるのは、目の前の方の尊厳を深く理解し、それをしっかりと尊重し、どう守っていくかがケアの根幹ではないでしょうか。

私の場合は『同性介護にしてほしい!』『牛乳が嫌いだから飲ませないでほしい』『ポリエステルの服は着たくない』とか、細かなことまで、生活設計に書いています」

そして「私たちは『居住福祉』という考え方のもとで活動している」と近山さん。

「介護施設には、その施設のルールがある。そこに自分を当てはめて生活し、管理のもとで一定の安心や安全が担保されるのも事実です。でも、自宅という自分の城であれば、そこに他者が入ってきても自分の天下なんです。

できれば自宅、もしくは自分が選んだ場所に医療とケアを持ち込む居住福祉の考え方が、最後まで自分らしく暮らすポイントになるのでは。最後まで選び取る、これが大事です」

また、自分の価値観を理解し、共有しあえる相手が近くにいることも大切とも。

「寝たきりでしゃべれなくても、私の価値観を代弁してくれる人がそばにいてくれないと、私は私のままでいられません。だから、那須まちづくり広場を一緒に運営している人たちと一緒にいます。信頼できて価値観を共有できる相手とつながれることも、コミュニティの魅力だと思います」

近山さんを含む3人の役員は、60代と70代。現在、かつての温泉施設と旧寺子小学校の設備を利用した、新2大プロジェクトが進行中とのこと。近山さんは「これが軌道に乗ったら退職する!」と明るく笑っていた。

「若い世代への引き継ぎは以前から考えていて、急ピッチで人材採用を進めています。私たちが作ったのは、私たち世代の仕組みなので、運営メンバーが変わったらその方たちのやり方で進めてくれてOK。進行中のプロジェクトを通して私たちの良いところ、悪いところを全部見てもらい、そこから感じ取ったものを次に生かしてほしい」と熱い思いで語る。


那須まちづくり広場

栃木県の那須連山を背景に広がる「那須まちづくり広場」。廃校になった小学校を活用したこの広場では、どのような住宅で人々が暮らし、どのような日常が営まれているのでしょうか。

一人ひとりが望む完成期の実現を支える施設のようすと、現在の那須まちづくり広場に加えて、2028年までの完成を目指し準備が進む、2つの新しい広場を近山さんに案内していただきました。

就労支援B型・生活介護
ブックギャラリー

広い敷地内には、若い世代と高齢者が共に暮らす住宅やゲストハウス、障がいのある方の居場所を用意。また、ご入居者と地域の人が集うカフェやブックギャラリー、地元の野菜が購入できる市場も設置。誰でも利用できる広場は、化学物質過敏症の方への配慮から、フレグランスフリーを宣言。

「入居者以外の方も出入りできるようにしたのは、共に暮らしていくうえで不可欠な『信頼感』を育みたいから。

ここには直接管理する仕組みがありません。例えば、ブックギャラリーの本に貸し出し期限はないし、アートギャラリーに常駐スタッフはいないけど、作品がなくなることはないですよ。

管理をしない、柔軟な雰囲気を感じ、自由に振る舞える場でありたい」そう語る。

近山さんの次なる一歩は、自然治癒力を引き出す暮らしがコンセプトの「那須まちづくり広場2」と、誰もが何かしらの役割のある社会を目指す「那須まちづくり広場3」をつくりあげること。

「広場2は、サ高住と多世代が住める賃貸住宅で、温泉のあるホテル跡地を再利用し、温泉療法や食事療法などを取り入れ、生活の質の向上を目指します」

2028年完成予定の「那須まちづくり広場3」は、旧寺子小学校を活用

続いて広場3では「100以上のプログラムをデイサービスに取り入れ、障がいのある人と、多様な背景を持つ大人が交流し、それぞれが自身の役割を見いだせる場にしていきたい」と語る近山さんの言葉に、熱意があふれていた。

取材・文:北林あい / 撮影:あいらいふ編集部 / 資料提供:那須まちづくり株式会社

豊かなシニアライフのための情報誌『あいらいふ』編集部
【誌名】『あいらいふ』vol.182(2026年3月26日発行号)
【概要】初めて老人ホームを探すご家族さまの施設選びのポイントをさまざまな切り口でわかりやすく解説。著名人に介護経験を語っていただくインタビュー記事のほか、人生やシニアライフを豊かにするためのさまざまな情報や話題を取り上げて掲載。
【発行部数】4万部
【配布場所】市区役所の高齢者介護担当窓口・社会福祉協議会・地域包括支援センター・居宅介護支援事業所・訪問看護ステーション・病院・薬局など1万か所

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