【ソーシャルワークの現場から】[京都]クローバー居宅介護支援サービス / 介護支援専門員(ケアマネジャー)・ 吉岡 里登美 氏

介護支援専門員(ケアマネジャー)・吉岡里登美 氏
care manager / Yoshioka Satomi
チームづくりがケアプラン成功の鍵
介護を必要とする方やご家族の相談に乗り、適切な介護サービスが受けられるようにサポートすることが、ケアマネジャー(以下、ケアマネ)の大切な仕事。介護業界で20年以上のキャリアを重ね、現在は後進の指導とチームづくりがライフワークと語る吉岡さんにお話をうかがった。
司会業からケアマネに転身
■あいらいふ編集部(以下、あいらいふ):
本日はお時間をいただき、ありがとうございます。最初に、ケアマネというご職業に就かれるまでの経緯についてお聞かせください。
■ケアマネジャー・吉岡さん(以下、CM吉岡):
高校生のときは、福祉学科のある短大に進んで保育士になろうと思っていました。
ところが、ちょうど世の中がバブル景気の頃で。3つ年上の兄が、大学で遊び呆けているのを見て、私も4年制の大学に行きたい!と心変わりをしたんです(笑)。京都の女子大に入学したのですが、4年間、ほとんどバイト三昧でした。
その中に、大阪のイベント会社でのナレーターのアルバイトがあって。見本市の会場で、車やオーディオといった新製品のPRをする仕事です。
卒業後は、その会社にプレイングマネージャーとして就職しました。司会業はモデル並みの容姿の人も多く、見た目で弾かれることも多かったのですが、いわゆる“お固い”会社から継続してお仕事をいただいたり、前日になって出られなくなった人の代役を務めるなどして信頼を得て、仕事を続けていました。
■あいらいふ:
華やかな世界で、活躍されていたのですね。
■CM吉岡:
介護の仕事に就いたのは、子育てがきっかけです。28歳での結婚を機に、京都に戻って結婚式の司会業をしていたのですが、イベント会社は土・日がほぼ仕事なので、保育園の運動会のような催しにも参加できなかった。子どものそばにいられる仕事を探さなくては、という思いから転職を考え、訪問介護員(ホームヘルパー)の資格を取ることにしました。
その後は、京都市内の社会福祉法人にホームヘルパーとして勤めたのですが、ちょうど介護保険制度が新設された時期で、当時の上司から、新しくできたケアマネという仕事を勧められたんです。
そこから1年半ほど在宅相談員(訪問介護事業所で、ホームヘルパーのコーディネートを受け持つ事務職)として働きながら、ケアマネの試験に合格。転職してから、あっという間に20年が経ちました。
■あいらいふ:
ホームホームヘルパーを始められた当初、介護の仕事に抵抗はありませんでしたか?
■CM加藤:
中学生のときに、曾祖母が認知症を患って、今でいう介護医療院に入院していたんです。そこでの入浴介助が、私の仕事でした。大浴場があって、曾祖母の髪や身体を洗ってあげていました。
結婚してからも、今度は寝たきりになった祖母の面倒を母と一緒に見ていたので、介護に対して抵抗はありませんでしたね。
家族の面倒をみるのは当たり前、という環境の中で育ちましたから。ホームヘルパーの資格を取ろうと思ったのも、その原体験があったからかもしれません。
人と人とのつながりを大切に、共に歩む
■あいらいふ:
ケアマネとしてのキャリアの中で、印象に残っているエピソードはありますか?
■CM吉岡:
この仕事を通して、数多くの方々と関わってきましたが、特に印象に残っているのは、知的障がいを抱えた末期がんの女性のケースです。
身寄りもないに等しい方で。途中で65歳になられて、介護保険に切り替わったことで私が担当になったのですが、介護は壮絶でした。入院先の病院でも、何度となく脱走騒ぎが起こりました。
そういったときは、決まって朝、別の病院から私に電話がかかってくるんです。「こういう方がいま、うちの病院にいてはるんですけど」って。
貼られている痛み止めのパッチ薬を見て、入院先はわかるのですが、担当のケアマネが誰か、わからない。そうなると「吉岡さんのご担当の方じゃないかと思って」。当時は、大変なご相談者ばかり受け持っているケアマネとして、有名だったんです。
その方のケアには、関係者全員が一丸となってあたりました。医療スタッフの方々とは何度も、何度もやり取りを交わしました。
私が会いに行くたびに、相手からは「死にたい」「(死ぬための)薬をくれ」と言われる状況でしたし、先生からは「可能な限り、苦痛がないようにするけれど、どうしても家に帰りたいと言うなら、自宅で看取ってあげてほしい」と言われて、自分がやらねばと覚悟を決めたこともありました。
結局、最期はホスピスに入られたのですが、病院側も介護側も、患者さんにとって最善のケアをしようという気持ちで、臨んでいました。急性期の病院で担当だった先生からも、「自分がアルバイトでホスピスに夜勤に行くから」とフォローしていただいたんです。
その方が亡くなられたときは、辛い身の上と闘病のご苦労に胸を締め付けられる一方、本当に大勢の人々に助けられて、一人の人への支援をやり遂げられたという思いがありました。
ケアマネの仕事は、こうした「人と人とのつながり」で成り立つのだと、あらためて感じましたし、最後にその方のお顔を見たときに、「本当によく頑張ったね」という言葉が自然に込み上げてきました。私にとって、まさに、チームで支え合うことの重要性を再確認した出来事でした。

介護とは“プロジェクト”
■あいらいふ:
吉岡さんは近年、若手スタッフの育成にも力を注いでいらっしゃいます。人材育成に取り組む上で、心がけていることはありますか?
■CM吉岡:
私はケアマネとして20年間、支援の現場で貴重な経験をいくつもさせていただきました。ただ、こういった機会は常に訪れる訳ではありません。若手スタッフには、困難に見える事例であっても積極的に挑戦し、ケアマネとしての成長につながる経験を重ねていってほしいと思っています。
先日、ホームヘルパー時代の知り合いから、知的障がいと統合失調症を併発されている方の支援依頼があったんです。長い間、病院で過ごしてこられた方で、担当地域の居宅介護事業所ではどこも断られたというお話でした。
担当地域外ということもあり悩んだのですが、「非常に貴重な機会ではないか」との思いから若手スタッフ2人に相談したところ、「ぜひ受けてください」と快諾の言葉をもらいました。
現在、この2人は、ご相談者さんを中心に、障がいのホームヘルパーさんや介護のホームヘルパーさんも巻き込んで、チームでLINEのグループを作り、さまざまな場面で協力しながら、日常生活のサポートを行っています。
私の携帯にも、毎日のようにLINEが届きます。「○○さんが乾電池を盗まれたと言って、警察に電話をかけておられます」とか。当の警察から「○○さんを保護したので迎えに来てください」と、事業所に電話がかかって来たこともありますね。
どんなことが起こっても、彼らは「面白い」「やりがいがある」と笑顔で話してくれるんです。彼らにとって必要な経験をさせてあげたいという、こちらの思いを汲み取って、自発的に取り組んでもらえることは本当にうれしいし、頼もしいと感じますね。
このケースで言えば、介護保険と障害年金の組み合わせや計算の仕方、役所の許可のもらい方など、通常のケアプランを作る上では知る機会の少ない手続きを、学べるチャンスがたくさんあります。何もない時に口頭で伝えても、効果は薄いと思いますから、こういった機会を通じて、私の経験値を伝えていくことができればと考えています。
■あいらいふ:
1人ではできないことを、チームを組んでやり遂げるということが、かけがえのない貴重な経験になるのですね。
■CM吉岡:
介護には、本当にさまざまな人々が関わっています。
例えば、私が当時、ケアマネとして多くの事例に取り組めたのは、熱心な在宅相談員の方に協力していただいたからだと思っています。「そんな時間の派遣、あかんわー」と言いながら、何とか調整してくれたり。
外部の事業所にも、夜中の11時や12時に、一緒にご相談者宅を訪問してくれるような方たちがいて、助けられました。
■あいらいふ:
さまざまな人々に参加してもらい、協力を得る。まさに「チーム吉岡」ですね。
■CM吉岡:
私は、介護の仕事は、それぞれの分野におけるプロフェッショナルが、共通の目標に向かって最良のサービスを提供する「プロジェクト」のようなものだと思っているんです。
目指すのは、業種や組織を超えて、スタッフ全員がプロジェクトに主体的に関わり、介護にやりがいを感じられるチームづくり。すべてが終わったら「また一緒にやりましょうね」という形で、チームの輪が広がっていくのが理想です。
■あいらいふ:
そういったチームを作るために、必要な要素とは何でしょうか?
■CM吉岡:
うまく言えませんけど、やっぱり人間の根底にある「人としてどうすべきか」といった思いを共有できるかどうかが大事だと思います。例え、自分には関わりがなくても、ルールで認められていなくても、目の前で起こっていることに手を差し伸べなくていいのか、と。
さまざまなご相談者との出会いは、新しいプロジェクトの始まりです。プロジェクトを通じてお互いが成長し、信頼し合える仲間をつくる。そんな好循環が生み出せれば、スタッフ同士の絆が深まり、さらなるモチベーションにつながると信じています。
組織の枠を超え、シニアの暮らしをサポート
■あいらいふ:
あいらいふのような老人ホームの紹介業者に対しては、どのような印象をお持ちですか?
■CM吉岡:
介護はチームワークですから、ご相談者をともに支えていくために、紹介業者さんとも、組織の枠を超えて連携したいですね。
自分たちに足りない部分は、一緒になって助けていただけたらと思いますし、介護保険外のサービスがどんどん良くなっていかないと、いずれ公的な制度だけでは立ち行かなくなるときも来ると思います。
さまざまなご事情を抱えた方が、その方に適したより良い生き方を選んでいただけるよう、協力し合える関係性を築いていきたいですね。
■あいらいふ:
いま、吉岡さんが叶えたい将来のビジョンは、どのようなものでしょうか?
■CM吉岡:
私自身は、身体も弱いし、根性もないし、ホームヘルパー時代は故障しまくり、休みまくりでした。いま振り返ると、当時の上司はよく我慢してくれていたな、と。あるとき、その上司に言われたんです。「それなら、同じように介護の仕事に苦しんでいる人たちを助けられる人になればいい」って。
ケアマネを目指したのは、その言葉がずっと心の中にあったからです。ご相談者とご家族はもちろん、介護に携わる人たちすべての疑問や不安を解消できるケアプランを作れたら、と。
介護の仕事で悩んでいる人たちの役に立ちたい。そのためにやりたいことがまだまだたくさんあります。特に思うのは “職員同士が互いの知識や経験を共有できる機会を設けて、成長をサポートしたい”ということです。
悩みや疑問を気軽に相談できるような、オープンな職場環境を整え、職員一人ひとりの状況に合わせて、多様な働き方ができるように支援していきたいですね。介護の仕事がもっと楽しく、やりがいのあるものになるように尽力すること。それがこれからの私のビジョンです。
■あいらいふ:
最後に、現在の吉岡さんのチームに期待することを教えてください。
■CM吉岡:
当事業所には、現在6人のスタッフがいますが、一人ひとりの個性や持ち味を活かして、チームとして成長を続けてほしいと願っています。介護の仕事は、完璧な一人よりも、多様な個性が集まるチームでこそ、より良いサービスを提供できると思うから。
ご相談者やご家族と真摯に向き合い、関わる人すべての笑顔のために、悩みも喜びも分かち合えるようなチームづくりを目指したいですね。ゆくゆくは彼らが頼れるリーダーとなって、それぞれのチームを発展させていく存在になってくれるよう、願っています。

【プロフィール】
ケアマネジャー 吉岡里登美
30代で訪問介護員(ホームヘルパー)の資格を取得し、京都の社会福祉団体に勤務。その後、ケアマネジャーに転職し、キャリアを重ねるとともに、現在は若手スタッフの育成にも力を注ぐ。株式会社 結形(ムスブカタチ) クローバー居宅介護支援サービスに勤務。
===取材協力===
株式会社 結形(ムスブカタチ)
クローバー居宅介護支援サービス
京都府京都市上京区六軒町通元誓願寺上る玉屋町225
取材・撮影/鈴木孝英
文/山田ふみ
豊かなシニアライフのための情報誌『あいらいふ』編集部
【誌名】『あいらいふ』vol.175(2025年1月30日発行号)
【概要】初めて老人ホームを探すご家族さまの施設選びのポイントをさまざまな切り口でわかりやすく解説。著名人に介護経験を語っていただくインタビュー記事のほか、人生やシニアライフを豊かにするためのさまざまな情報や話題を取り上げて掲載。
【発行部数】4万部
【配布場所】市区役所の高齢者介護担当窓口・社会福祉協議会・地域包括支援センター・居宅介護支援事業所・訪問看護ステーション・病院・薬局など1万か所