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マイライフ・インタビュー

長野五輪金メダリスト・介護関連企業経営者

「アスリートのセカンドキャリアとして浮かぶのは、指導者、タレント…。私は、スケートをしていたからこそ、と思える新しい方向の仕事を築きたい」

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清水宏保

1974年、北海道帯広市に生まれる。病気を克服するために父親のすすめで幼稚園からスケートを始める。身体が小さいと活躍できないとされたスピードスケートの世界で、162センチメートルという小柄な身体ながらメダリストまで登りつめる。主な成績は、1998年に長野五輪500メートル金メダル、1000メートル銅メダル、2002年ソルトレークシティ五輪500メートル銀メダルなど。2010年、アスリートの経験を活かしたリハビリ施設を運営する株式会社two.sevenを設立。主著に、『ぜんそく力』『プレッシャーを味方にする心の持ち方』『人生の金メダリストになる「準備力」』。

スピードスケートの選手として、長野オリンピックで金と銅のメダル、ソルトレークシティオリンピックで銀メダルを獲得した清水宏保さん。現在は、北海道の札幌を中心に、リハビリ型の通所介護施設や訪問看護ステーション、フィットネススタジオ、そして、サービス付き高齢者向け住宅などを展開する企業の代表取締役を務めています。アスリートのセカンドキャリアとして実業家の道を歩む清水さんに、お話をうかがいました。

清水宏保

 

「リハビリセンターの中には、マッサージ中心の施設もあると聞きます。それは一時的な心地よさを提供するだけ。運動習慣の継続こそが、健康寿命を伸ばすのです」

 

 

「リハビリは、正にアスリート経験者が介入できる分野」と直感する

 

 「現役を引退した時、正直にいってこれから何をすればよいのかわかりませんでした」
 そんな清水さんに、アスリート時代の経験を活かしながら事業を展開するという、現在の道をアドバイスしてくれたのは、衆議院議員であり、医師でもある鴨下一郎氏でした。
「私自身、小児喘息で、アスリート時代も喘息のコントロールに頭を悩ませてきました。そこで、小児喘息の啓蒙活動を行っていました。それを知った鴨下先生が、本気でアスリートのキャリアを活かしたいのなら、基礎から医療経営学を学んでみてはとアドバイスを下さったのです」
 アドバイスを受けて、2011年4月、母校である日本大学の大学院グローバル・ビジネス研究科へ入学。医療経営について学ぶ中で現場の視察を重ね、出会ったのが介護における運動リハビリテーションでした。
 「けがや病気、高齢のため身体機能が衰えたお年寄りが、リハビリによって回復する過程を見て、正に、アスリートが介入できる分野だと直感しました」
 ここから、医療や介護とスポーツの融合について考え始めた清水さん。修士課程を修了した13年7月、まずは北海道札幌市で整骨院を開業します。

 

 

「私のファンではなく、施設のファンになって欲しい」

 

 整骨院をスタートした時、清水さんは、ご自身の名前を前面に出すことをしませんでした。
 「正直、とても迷いました。一番、思ったのは、私のファンではなく、施設のファンになって欲しいということ。きっかけは、私だったとしても、スタッフとの信頼関係が築けなければ事業の継続はありません。もっとも、今となっては全面的に私の名前を押し出しているのですが(笑)」
 幅のある介護ビジネスの展開を模索しながら、整骨院を入口に介護保険制度を調べる中で、リハビリに特化した運営を行っている施設を視察するチャンスがありました。
 「小規模で運営するリハビリ施設が多い中、そこでは一定規模でリハビリ施設を運営していました。これこそ、自分が作りたい施設だと感じました」

 

 

リハビリの効果を上げるには、まず、自ら身体を動かす姿勢になること

 

 14年11月、念願だったリハビリ型通所介護施設、「リボンリハビリセンター」をオープン。そこから、次々と小人数制フィットネススタジオ、リハビリ型訪問看護ステーションなどを展開していきます。
 「介護を受けることになった方達は、みなさん、社会とつながりがなくなってしまうことを恐れています。われわれの目標は、リハビリを通じて自立を支援し、その方が生涯、社会とのつながりを保てるようにお手伝いすることです」
 健康を維持し、社会とのつながりを保つには、目標を持つことが大切になります。ですが、その実現は、たやすいことではありません。清水さんが展開する訪問型リハと通所リハ、小人数制ジムでは、自然と目標を持つことができるようになる仕掛けがなされています。
 「退院後、自宅から出ることができない時期は、訪問看護によって在宅リハを行います。そして、介助付で外出できるようになったら、通所リハへ。最終的に、1人で外出できるようになれば、フィットネススタジオに通っていただき、個人に合わせたリハビリを提供します。これができるようになったら、次は、ここを目指すという段階を踏むことで、より目標を明確にし、リハビリの効果を得られやすくするのがねらいです」
 リハビリの効果を最大化するには、「自ら身体を動かす」という姿勢になることが何よりも重要です。
 「リハビリは、自分で筋肉や身体を使うからこそ初めて効果が出ます。リハビリセンターの中には、リハよりもマッサージ中心の施設もあると聞きますが、それは一時的な心地よさを提供するだけ。運動習慣の継続こそが、健康寿命を伸ばすことにつながると確信しています」

 

 

清水宏保

 

「経営者の方達は、『40歳なんて、ひよっこの年齢。これからじゃないか』とおっしゃいます。何歳になっても新しいことにチャレンジできるのだと勇気づけられています」

 

 

「スケートだけを頼みとする人生は、歩みたくなかった」

 

 「スケートだけを頼みとする人生は、歩みたくなかった」と話す清水さん。日本初のプロスケーターでありながら、そう考えたのはどうしてなのでしょう。
 「アスリートのセカンドキャリアというと指導者や解説者、タレント、政治家を思い浮かべる人が多いかもしれません。ですが、そうした道は、誰にでも開かれた道ではない。私は後輩達に、『スケートをしていたからこそ、人生の選択肢が広がった』と思えるようなキャリアを創造したかったのです」
 その視野は、後輩のセカンドキャリアに新しい道を開くことにもおよんでいます。
 「さらにいえば、社会貢献につながるキャリアを作りたかった。例えば、税金を投じてスポーツ選手を育成することには賛否両論ありますね。育てていったアスリートが引退後、社会に貢献できるキャリアを築くことができれば、アスリートの育成にも理解が得られやすくなります。正に、医療や介護に関連する事業は、こうした循環の実現に結びつくと思うのです」
 「現役を引退した時は、駅伝でいえば復路に入ったようなもの。後は下るだけだと思った」と、虚無感にとらわれたと話します。ですが、そんな思いは新しい事業を具現化する毎日の中で吹き飛んでしまいました。
 「経営者の方達は、『40歳なんて、まだまだひよっこの年齢だね。これからじゃないか』というようなことを普通におっしゃいます。何歳になっても新しいことにチャレンジできるのだと勇気づけられます」

 

 

帯広のお母様は82歳。「介護保険は、まだ先と動きまわる」

 

 帯広のご実家には、82歳になるお母様がご健在の清水さん。実は、2人のお姉様は看護師、お兄様は柔道整復師という医療系一家の側面もありました。
 「兄姉達で協力して実家のある帯広に老人ホームを作れば、母親は、そこで安心して過ごせるね。何て冗談で話すこともあります。もっとも母は介護認定も受けずに、毎日、元気に動きまわっているのですが(笑)」 
 よい施設選びのポイントは、「スタッフが親を入所させたいと思うようなホーム」といわれます。清水さんご兄姉の話が実現すれば、それは入居者にとって、この上もない理想のホームになるかもしれません。

2019.08 あいらいふ 掲載

取材: 横井かずえ / 撮影: 近藤豊

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