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マイライフ・インタビュー

女優

「仕事に追われて、月に1度の通院をやめてしまった。ガンが再発して、やっと『命だけは何とかしたい』と目が覚めたのです」

インタビュイー写真

原千晶

1974年4月27日、北海道帯広市に生まれる。1994年に21代目「クラリオンガール」に選ばれ芸能界デビュー。2005年、年明けに、円錐切除術で腫瘍をとった後、子宮頸ガンと診断される。4年後の10年1月に子宮頸ガン、子宮体ガンが発覚し子宮の全摘手術を受ける。術後、約半年におよぶ抗がん剤治療を受ける。11年7月、女性のガン患者の会、「よつばの会」を発足。13年、自身の子宮ガンの闘病生活を中心に書いた著書、『原千晶39歳 がんと私、明日の私、キレイな私。』(光文社)を出版した。現在は、「よつばの会」の活動の他、講演などを通してガン検診の大切さから早期発見、治療などに関する情報を発信し啓蒙活動を行っている。

「子宮頚癌」の罹患、再発、そして、転移。こうした経験から、現在、ガンの早期発見と早期治療の大切さを講演などで訴える女優の原千晶さん。そもそも、原さんのガンは、なぜ、再発したのでしょう。そして、抗がん剤治療など、苦痛をきわめた闘病生活の中でつかんだものは何だったのでしょうか。

原千明さん

 

「術後に結婚。彼のお父様は、お前が振られるのはいい。でも、病気が原因で彼女を裏切ったりしたら許さないとおっしゃってくれたのです」

 

 

「ガンになるのは、私じゃない他の誰か」と思い込んでいた

 

 

 今や日本人の2人に1人がかかるといわれている「ガン」。ガンの罹患率は年齢とともに上昇傾向にあるので、若いうちはどこか他人事に感じることも……。原千晶さんもそう考えていたひとりでした。
「自分もまだ30歳でしたし、ガンになるのは他の誰かで、私じゃないって勝手に思い込んでいたのです。ところが2004年の年末、寝ても覚めてもいられないくらい激しい腹痛が続き、レディースクリニックに行くと、子宮の入口にできものがあることがわかりました。すぐ大学病院を紹介され、精密検査を受けると、子宮頸部に13ミリの腫瘍が見つかり、年明けに手術で切除することになったのです」
 原さんは1994年に第21代目のクラリオンガールに選ばれて芸能界デビュー。そのときのポスターを見ても健康的で病気とは無縁なイメージです。
「もともと生理痛がひどかったのですが、そのときは、いつもとは違っていて。30代に入ったばかりで年齢のせいかなとも思っていました」

 

 

「主治医から摘出をすすめられても、子宮を温存したかった」

 

 

 手術は膣からメスを入れ、子宮頸部を円錐形にくり抜き患部を摘出する「円錐切除術」がとられました。
 ポリープを切除すれば治る程度に考えていた原さん。病理検査の結果、「子宮頸癌」と診断されます。
「先生から『ガンの中でも進行が速い部類に入る』といわれ、子宮を温存すると再発のリスクがあるため全摘をすすめられました。『ガン』とわかったことも驚きでしたが、全摘はそれ以上のショック。これから結婚して子どもも生みたい。そう思うと先生の話を素直に受け入れられず、同席した母も娘のこの状態にどうしたらいいか困った様子でした」
 主治医の見解は再発した場合、肺や肝臓、リンパ節など他の臓器に転移する可能性があるということ。さらに、抗がん剤治療の必要性も指摘されます。
「両親とも相談して悩んだ末、全摘を決意します。ところが、再手術の前日に再びためらいが……。主治医に電話で『どうしても子宮を温存したいです』と伝えてしまいました」
 あらためて診察をした主治医は、原さんの強い意思と身体の状態を鑑みて、月に1度の経過観察という猶予を与えます。

 

 

子宮全摘の覚悟を伝えると、医師は、「もう、そんなものでは済まない」と

 

 

 原さんは毎月、検診に通い続けますが、2年が経過した頃、通院をやめてしまいます。
「ドラマの撮影で仕事に追われる毎日。生理も順調で、生理痛も軽くなっていました。『なぜ、私だけがこんな思いをしなくちゃいけない?』って理不尽さを感じることもありました」
 ガンは治療終了後、5年を経過して再発や転移がなければ「治癒」とみなされます。原さんの場合、あと3か月でその5年を迎えようとしていたとき、意識が遠のくほど激しい腹痛に見舞われます。
「鎮痛剤を飲んでもまったく効かず、最初に診てもらったクリニックに駆け込むと、すぐ大病院に行ってくださいといわれました」
 今更、足が遠のいていた主治医に連絡する勇気はなく、結局、別の病院を紹介してもらいます。そこでの診断は予想以上に深刻なもの。新たに「子宮体癌」ができて子宮頸部に広がり、進行性の「腺癌」と告げられます。
「医師に子宮全摘の覚悟があると伝えると、『そんなもので済みませんよ』って。『卵巣、卵管も摘出して、リンパ節もたくさんとらないといけないでしょう。術後は抗がん剤治療が必要になると思うから、半年間仕事も休んでください』と。ここまでの状態になって『命だけは何とかしたい』と目が覚めました」

 

 

再手術。術後の経過は順調だったが、6クールの抗がん剤治療を受ける

 

 

 子宮全摘の手術を受けるにあたり、医師から前の病院に行って詳しい病歴が記されたカルテをもらってくるようにいわれます。これ以上逃げるわけにはいかず、原さんはどうにか主治医と連絡を取り、会いに行きました。「先生に合わせる顔はなかったのですが、何一つ文句をいわず、自分も心配だからと診察してくださいました。『子宮頸部腺癌1b―2期でほぼ間違いないだろうから、すぐに手術が必要だね』と。『でも、ちゃんと治療すれば大丈夫だから一緒にがんばろう』と励ましてくれて、涙が止まらなかったのを覚えています」
 結局、カルテを取りに行ったのを機に主治医に手術をお願いして、2010年1月13日、前回と同じ病院で再手術。
 術後の経過は順調でしたが、リンパ節への転移が見つかり、6クールの抗がん剤投与が必要になりました。

 

 

原 千晶さん

 

 

「病気は誰も代わってくれません。それを自分で受け入れる。それまでの私は、責任を転嫁するところがありました。闘病後は、仕事もプライベートの出来事も真剣に考えるようになりました」

 

 

「もう子どもは産めない。でも、彼と結婚したい」

 

 

 1クール目の化学療法がスタートしたのは、手術から16日目。そのとき、原さんはもうひとつ乗り越えなくてはならない壁がありました。当時、お付合いしていた彼との結婚話です。
「その彼が今の主人なのですが、子宮の全摘が決まったとき、子どもを産めなくなるという事実をどうとらえ、どう向き合っていくのか、何度も2人で話し合いました。彼は私のつらい気持ちを全身全霊で受け止めてくれて、『とにかく今はきちんと治療して、健康を取り戻すことを一番に考えよう』と。さらに『子どもがいなくても、2人で仲よく暮らせればいいと思っている。親に何かいわれても僕の気持ちは変わらない』といってくれました」
 ただ、日本の場合、結婚は本人達がよくても、親や親戚に反対され、破談になるケースもめずらしくありません。複雑な思いが交差する中、彼は原さんとのすべてを両親に打ち明けるために帰省していました。
「ちょうど1クール目の抗がん剤の投与が終わった頃、彼が実家から戻ってきたのです。『どうだった?』と恐る恐る聞くと『父からは自分でそう決めたなら最後まで貫き通せ。そのことで彼女を裏切ったり、傷つけたりしたら絶対に許さない』と。お母様は女性として私の身体を気遣ってくださいました。おふたりの言葉を聞いたとき、安堵と感謝の気持ちでまさに慟哭ですね。号泣しました」
 原さんは自分がガンになったことで、いろいろな人を巻き込み、彼の人生まで変えてしまったことを申し訳なく思い、この病気の大変さも切実に語ってくれました。しかし、病気を通して得たこともたくさんありました。
 「家族や彼はもちろん、周囲の温かい言葉に救われました。それによって気持ちも前向きになり、つらい闘病生活も乗り越えられたのです。彼との結婚も、程よい距離間を保ちながら寄り添うことで自然と家族になれました」
 また、2度もガンを経験して、人間的に、ひとまわりも、ふたまわりも成長しました。
「それまでの私は仕事で失敗しても別の何かに責任転嫁することがありました。でも、病気は誰も代わってくれません。自分でそれを認め、受け入れなくてはなりません。自分が責任を持ち、どう行動すべきか、仕事もプライベートも真剣に考えるようになりました」

 

 

自らガン患者の会、「よつばの会」を設立する

 

 

 現在、原さんは講演やイベントなどを通して、ガンの早期発見、早期治療の啓蒙活動も行っています。2011年7月に設立した婦人科系ガンの患者会「よつばの会」には、既に600人以上の女性が参加しました。
「初めは女性同士の意見交換の場があればと思って会を発足したのです。今はそれだけでなく、ガンと診断され、これから治療を行う患者さん達が、情報収集のために参加するケースも増えています」
 ともに会の活動を運営しながら、志半ばで亡くなった仲間も。こうして身近な人の死にふれ、死生観も大きく変わったといいます。
「肉体を失うということは残された人達にとって、とてつもない喪失感があります。でも、その方が一生懸命生きたことを思えば、悲しむだけで終わらせてはいけないと感じたのです。死後の世界もあると信じることで、すべてを受け入れ、死に対する恐怖心も和らいでいく気がしました」
 最後に、多くのガン患者とのふれあいを通して痛感したことや介護をしている方にメッセージをいただきました。
「ひとついえることは、みなさん、がんばりすぎだということです。介護に関しては、まだ経験のない私が偉そうにいえることではありませんが、自分のペースでやることが大切に思います。ときには人に頼って、気持ちを切り替えることも必要ではないでしょうか。がんばりが利くうちはいいですけど、病気になったら本末転倒ですからね」

2019.03 あいらいふ 掲載

取材: 飯島順子 / 撮影: 近藤豊

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