
マイライフ・インタビュー
音楽評論家・作詞家
「音楽に導かれて、ここまでやってきました。音楽のある日常は、平和と自由の証。この暮らしを次世代につなぐことが私の使命なのです」

湯川れい子
1936年1月22日、東京目黒生まれ。音楽評論家、作詞家、日本音楽療法学会理事、元内閣府原子力政策円卓会議構成員。海軍大佐を務める父と母のもとに4人兄妹の末っ子として生まれた。音楽雑誌、『スイングジャーナル』への投稿が反響を呼び、1960年に音楽評論家としてデビュー。エルヴィス・プレスリー、マイケル・ジャクソン、ポール・マッカートニーなどと交流し、洋楽評論の第一人者となる。作詞家としての大ヒット作には、『六本木心中』『恋に落ちて-Fall in Love-』など。主著に『熱狂の仕掛け人』(小学館)、『湯川れい子のロック50年』(シンコーミュージック)。『あいらいふ』関連では、2017年3月号に登場していただいた歌手、川中美幸さんの『月の砂漠』の楽曲の作詞を担われている。
右の黒いピックはポール・マッカートニーからもらったもの。左の黄色は、 エルヴィス・プレスリーのバンドのギターリスト、ジャームズ・バートンのものと思われる
「私は、エルヴィスに会いたいという願いを15年かけてかなえました。好きな人に会うことは、生きるための大きなエネルギーになりますね」
体調を崩す人、家族の問題で苦労する人に見つけた法則性
音楽評論家、作詞家として活動する湯川れい子さんは、よりよく生きるための独自の「幸せの法則」を持っています。
「周囲では60歳を節目に体調を崩す、家族の問題で苦労する人が少なくありません。一方で、そこをうまく越えると、あとはグンと楽になる人をたくさん見てきました。『何が違うのだろう?』と考えた結果、たどり着いたのが『あいうえお』の法則です」
エルヴィスに会う夢は、15年をかけて実現させた
〇あ:会いたい人に会いたい
〇い:行きたいところに行きたい
〇う:嬉しいことがしたい
〇え:選ばせてもらいたい
〇お:おいしいものが食べたい
「会いたい人に会うのは、とても大事なこと。私自身、エルヴィス・プレスリーに会いたいという願いを15 年かけて実現しました。好きな人に会うことは、生きるための大きなエネルギーになります」
60歳までは仕事や子育て、介護などで自由が制限されがちで、行きたいところに行くこともままなりません。湯川さんも子育てに追われた40代は、魅力的な仕事のオファーでも「子どもを置いては行けない」と断っていました。そんな中で生まれたのが、「夢貯金」です。
「壁のボードに行きたい場所を貼っておいて、夢を実現させることを励みに頑張ってきました。子どもが巣立った後に、念願かなってオーロラを見に行くことができたのです」
次は、「嬉しいことがしたい」。
「わがままに聞こえるかもしれませんが、実は、とても難しいこと。例えば、私が100万円のケリーバックを買っても誰も幸せになりません。本当の意味の嬉しいことというのは、周囲のみんなが幸せになれること。ここを間違うと、決して嬉しい結果にはならないのです」
続く「選ばせてもらいたい」が、実は、最初に思いついたのだとか。
「周囲の幸せではない人を観察していると、物事がうまくいかないときに他者のせいにするクセがついていると気づいたのです。でも幸せも不幸も、すべては自分が選択してきたことの結果。このとき、この場所にいることも含め、すべては選択の積み重ねと考えると、自分の人生は自分で選ばせていただきたいのです」
最後は、「おいしいものが食べたい」。
「仕事柄、付合いの食事会が多いのですが、人生の残り時間を考えるとあと何千食、夕食だけなら何百食を食べることができるかわかりません。だからこそ、一食一食を大事にしたいと思います」
「90歳まで、ピンヒールを履いていたいのです」
ちなみに、湯川さんが人生最後に食べたいのはごま塩をかけた白いにぎり飯。
「戦時中、疎開先の米沢で、毎日、カボチャのつるが浮かんだすいとんばかり食べていました。『白いご飯が食べたいよ~』と泣いていたら、近所のおばさんが塩むすびをくれたのです。あの味が忘れられません」
60歳の頃にまとめた「あいうえお」の法則に加え、現在は、「転ぶな、風邪ひくな、欲はかかずに義理を欠け」が信条です。転倒と風邪予防はともかく、「義理を欠く」とはどういうことでしょう?
「80歳を過ぎて周囲で鬼籍に入る方が本当に増えました。葬儀は、大抵、午前10時頃から。ですが、私は仕事柄、夜がとても遅く、葬儀の時間に合わせるためには睡眠時間を削らなければなりません。生活のリズムが崩れると体調を壊してしまいます。そこで、あえて、義理を欠くことで自分の体調を管理しています」
ちなみに、転ばないために実践している予防策も、実に「湯川流」です。
「私は、90歳までヒールを履きますと公言しています。楽な靴を履くと足元がおろそかになり、ちょっとのことでつまずいてしまう。その点、高いヒールだと自然に歩行が慎重になりますから」
「周囲の幸せではない人を観察していると、他者のせいにするクセがついていると気づいたのです。でも、すべては自分が選択してきたことの積み重ね。だから、自分の人生は自分で選ばせていただきたいと思うのです」
C型肝炎を患っていた経験から「音楽療法」に出会う
若い頃の輸血がもとでC型肝炎を患っていた経験から、音楽療法を始めとする様々な健康法を実践してきました。
「音楽療法は、頭痛薬のように飲めばすぐに効果が出るものではありませんが、優れた健康効果が期待できます。例えば、コンサートで好きな音楽を聴いた前後では、わずかですが体温が上昇します。外部から一定のリズムの刺激を受けることも恒常性(生体内の環境を一定に保つこと)によいといわれていますから、ヘッドホンで音楽を聴きながら散歩するのもよいでしょうね」
高齢者のケアにも、音楽療法は効果があるのでしょうか?
「認知機能が低下した高齢者も対象です。記憶の底にある音楽を引き出すと、喜怒哀楽の感情がよみがえる、コミュニケーションが復活するなどの研究もあります。全国には3000人の音楽療法士が活動していますから、興味がある方は日本音楽療法学会に問い合わせて下さるとよいでしょう」
樹木希林さんが、湯川さんに残した「非公式の遺言」
昨今、流行の終活についても聞いたところ、
「全然。何もやっていないのですよ」と一刀両断したかと思うと「樹木希林さんからいただいた遺言があるから、それは実行しようと考えているのですけれど……」と気になる言葉が飛び出しました。
「希林さんからは、常々、『あなた、絶対に整形した方がいいわよ』といわれ続けていました。なぜかというと、そろそろ老人ホームや病院へ入る年代になったから。ホームや病院はすっぴんで入るでしょう。そのとき、『えッ。あなたが湯川れい子さんなの?』と周囲に驚かれないために整形しなさいといわれていたのです」
個性派女優の樹木さんならではの、何とも独創的なアドバイスです。
「実際、眉もアイメイクも落としてすっぴんになったら、『どちら様ですか?』という世界ですから(笑)。来年こそは行こうと思っている間に、気づけばそれが遺言になってしまいましたね」
整形は行わなかったが、入院やホーム入居を見据えて、今、興味があるのはアートメイク(針で皮膚に化粧のような色素を入れる施術)だという。
「友人のアートメイクを見たら、すっぴんでも唇に色があって眉もちゃんとしているの。『これはいい』と思いましたね。老人ホームに入るときは、ぜひ、やってみたいと思っています」
「姉のためにとやっと見つけた施設。でも、空きがあるかは?」
湯川さんは、1987年にお母様を老衰で亡くされています。お母様は晩年、同居する次兄ご家族や湯川さん達に囲まれて幸せに過ごしました。96歳の次兄様、93歳の長姉様は、今も健在です。
「姉は、つい最近まで、近所の方にピアノを教えながら独り暮らしをしていました。ところが風邪がきっかけで入院し、病院なら安心だと思っていたところ、2週間で退院してくれといわれてしまいました」
インタビュー時、まさに長姉様の退院後のホームを探している真っ最中でした。
「以前から家族が施設入居をすすめていたのですが、プライドの高い姉は頑として首を縦に振りません。やっと1か所、ここなら入ってもいいというホームがあったのですが、空きがあるかどうか……」
お姉様の様子を間近で見ていた湯川さんは、ご自分の身に置き換えて、改めて元気なうちに備える大切さを実感したと語ります。
「病院には、長く滞在することはできません。施設は入りたいときに入れるとは限らない。やはり、元気なときから準備しておくことが大切なのでしょうね」
防空壕を掘る兄の口笛は、「敵国の音楽」だった
昨年10月、初の自伝、『女ですもの泣きはしない』(KADOKAWA)を出版しました。そこには、洋楽との出会いや戦死した長兄様のエピソードも書かれています。長兄様は戦地へ赴く前のわずかな数日間、湯川さん達のために防空壕を掘って過ごしました。そのとき、口笛で吹いていたメロディは、真珠湾攻撃が行われた年にアメリカでヒットした『スリーピー・ラグーン』。ですが、湯川さんがその曲名を知ったのは、戦後何年もたってからのこと。敵国の音楽を聴くことなど許されなかった当時、曲名をたずねる湯川さんにお兄様は 「僕が作った曲だよ」と説明するよりありませんでした。
「ラジオをつければ音楽が流れ、自由にコンサートも行くことができる。音楽のある日常は、まさに平和と自由の証です。私は音楽に導かれて、ここまでやってくることができました。この音楽のある暮らしを守り、次の世代につないでいく―今は、それが私の使命だと感じています」
※あいらいふ2019年2月号を再掲載したものです。
文: 横井かずえ / 撮影: 近藤豊