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マイライフ・インタビュー

歌手 前川清さん

「人は長寿になることで、介護の期間が長くなった。 そろそろ、親を老人ホームに送り出すことを 後ろめたく思うのはやめるべきなのですね」

インタビュイー写真

前川清

1948年8月19日、長崎県佐世保市に生まれる。高校中退後にバイトでキャバレーの歌手をしていたときにスカウトされ、「内山田洋とクール・ファイブ」のメインボーカルに。『長崎は今日も雨だった』でメジャーデビュー。日本レコード大賞新人賞を受賞し、NHK紅白歌合戦に出場。『そして、神戸』『東京砂漠』『噂の女』などのヒット曲を世の中に送り出す。87年からは、ソロとしての活動を開始し、『男と女の破片』などの楽曲をヒットをさせる。2015年、洋楽オールディーズ・カバー・アルバム、『My Favorite Songs~Oldies』の第1弾をリリース。現在は、九州朝日放送の旅番組、『前川清の笑顔まんてんタビ好キ』などにレギュラー出演。

「クール・ファイブ」としてのデビューから、50年を迎えた歌手の前川清さん。前川さんは、この半世紀をどう振り返り、今後、どんな活動を展開していくのでしょう。そして、1人の家庭人として、介護について、どう考えているのでしょうか。所属のレコード会社をたずねて、お話をうかがいました。

 

 

「ロケ先で、今日、介護施設に入るという正装の男性を撮影したのです。
その放映を娘さんは、一時、躊躇された。まだ、親を自分で介護しなければ親不孝という意識は強いのですね」

 

 

 

「歌は九電に入るまでのアルバイトのつもりでした」

 

 前川清さんは、1968年、「内山田洋とクール・ファイブ」にメインボーカリストとして参加し、翌年には、『長崎は今日も雨だった』でメジャーデビュー。歌手生活は半世紀を迎えました。インタビューで垣間見たその素顔は、『そして、神戸』『東京砂漠』などのヒット曲を持つ大物歌手には似つかわしくないほど、謙虚でつつましく、素朴なものでした。

「ファンの方からは、僕の歌を聴いて『勇気をもらいました』とか『お袋が病気のときは、歌で励まされました』といっていただき、ありがたいと思います。ですが僕自身は、誰かのためになろうと歌ったことは、実は、一度もないのです」

 前川さんにとっての歌は、その瞬間ごとに、与えられた環境で精一杯歌うもの。歌っている瞬間は、「何かのために」という意識は皆無といいます。

「そういうつもりで歌っているので、ファンの方から感謝されると何とも恐れ多いというか……」

 もともと歌手志望ではなかった前川さん。お父様は大工で、ご自身は堅い仕事につくことを希望して、出身地にある大企業、九州電力株式会社に就職するつもりでした。

「歌うことは、九電に入るまでのつなぎのアルバイト感覚。デビューが決まっても『やった!!』という気持ちはありませんでしたね」

 

 

桑田佳祐さん、福山雅治さんに、「尊敬する人」といわれて…

 

 そうはいっても、同郷の福山雅治さんを始め、サザンオールスターズの桑田佳祐さんやMr.Childrenの桜井和寿さんなど、前川さんを「尊敬する人」と讃える大物アーティストは後を絶ちません。そのことに触れると、「いやいやいや……」と照れ笑い。

「そんな実力ある方達から、僕の歌を好きだといっていただけるなんて……。照れくさいですよ。ただ、そういっていただけると、ほんの少しだけ、歌うことに自信が持てるかな」

 

 

萩本欽一さんに教えてもらった「場の作り方」とは?

 

 前川さんのステージは、歌だけでなくトークでも観客を沸かせるものです。エンターテイメントの要素を取り入れた背景には、フジテレビのバラエティ番組、『欽ちゃんのドンとやってみよう!』で前川さんの新たな魅力を引き出した、萩本欽一さんの影響があるのでしょうか。

「萩本さんから学んだのは、間の取り方や場の作り方、オチへの運び方。現代の回転の速い笑いの展開とは、少し違うかもしれませんけどね」

 歌謡ショーであるのに、歌以外の要素をふんだんに取り入れる理由は何なのでしょう。

「基本的に、誰かに笑ってもらうと幸せになる自分がいるのです。歌に感動して拍手喝采を受けるより、ショーを見て笑ってもらった方がよいですね」

 そして、ここでも前川流の「謙遜トーク」がさく裂します。

「桑田さんのように楽曲のバラエティが豊かならいいのですが、僕は歌に自信がなくて……。お客様に飽きられてしまうのではないかと心配なのです(笑)。だから、自由に写真を撮ってもらったり、トークを交えたり。できるだけ楽しんで帰ってもらうように心がけています」

 

 

60歳を待って受けた人工関節の手術

 

 前川さんは変形股関節症を患い、60歳のときに人工股関節の手術を受けています。痛み始めたのは小学3年生の頃から。当時は適切な診断がつかず、1年間入院してギプスをはめる生活をしていました。小学生の頃から打ち込んでいた野球も、痛みのために高校生で断念しました。

「その後、日常生活では問題なく過ごしていたのですが、40歳を迎える頃に再び痛み始めました。1か月公演をやるようになり、身体に負担がかかったせいかもしれません」

 一般的に、人工関節の寿命は20年程度。そこで60歳になるのを待って手術を受けました。

「人工関節の寿命がきて足に不自由が出ても、80歳ならまあ仕方がないかなと思って決断しました」

 術後、痛みはとれましたが、成長期に長期間ギプス生活をしていたため右足の発達が遅れ、数センチ短い状態。それを補う姿勢をとってきたため、治療してもバランスを取ることが難しかったといいます。

「自分ではまっすぐ立っているつもりでも、自然と身体が左側へ傾くのです。舞台が暗転した状態で歩くときに怖い場合もありますが、痛みがとれたのはありがたいですよ」

 

 

「両親は、きっと僕から逃げて、大阪に行ったのです」(笑)

 

 あまりメディアで語ったことのない、ご両親のこともうかがいました。前川さんのご両親は、25年以上前に他界しています。お父様は62歳のときに舌癌、お母様は76歳で肺がんで亡くなりました。ご両親は、前川さんがデビューする前後に大阪へ移り住んでいます。

「僕から逃げて行ったのでしょう。あの頃は金がなくて、両親のものを片っ端から質屋に入れていましたからね」

 大阪に嫁いだ前川さんのお姉様のところへ身を寄せたご両親は、最後まで大阪で暮らしました。

「大阪というのは不思議なところ。たまに親父やお袋のところへ行くと、見ず知らずの人から『あんた、もっと帰ってこないとあかんよ。母ちゃん、さびしがっとるがな』と怒鳴られるのです。東京にも、長崎にも、そんな人はいなかった。ですが、そうしたおせっかいにも思えるような人情味ある土地柄が、両親には居心地がよかったのかもしれません」

 

 

施設入居の日。正装をした98歳のお父さん

 

 2012年からは、九州朝日放送の旅番組、『前川清の笑顔まんてんタビ好キ』に出演し、歌手とは異なる顔を私達に見せてくれています。旅番組をやることで、「人との接点が増えて、改めて人間の面白さ、深みを知りました」という前川さん。こんなエピソードも聞かせてくれました。

「ロケ先で僕と同年配の男性が、『前川さん、ちょっとうちの義父を見に来てくれよ』と呼ぶのです。行ってみると立派なスーツを着込んで帽子を被った98歳の男性がどこかへ出発するところでした。聞けば、これから介護施設に行くのだと。『このままだと、いずれ子ども達に迷惑をかける。自分の足で立てるうちに施設へ入りたい。初めての場所へ行くのだから、きちんとした身なりであいさつしたい』とおっしゃっていました」

 しかしながら、このとき、実の娘さんは「私が親を捨てているように見えるから」と撮影を拒否。最終的に娘さんの理解を得ることができ、無事に放送することができましたが、この体験は、前川さんに多くのことを考えさせたといいます。

「九州地方の土地柄もあるのかもしれませんが、親を介護しないと親不孝という意識が強いことを痛感します。しかし、自宅で介護するのは大変です。介護を頑張れば頑張るほど、仕事などそれ以外のことができなくなり、金銭的にも追い詰められてしまいます」

 前川さんはプロの手を借りることについて、みんなが堂々とすれば、次第に周囲の雰囲気も変わるはずと話します。

「僕達の親の世代と今とでは時代が違う。昔の人は、今のように長生きではありませんでしたからね。介護といっても期間が短かった。親を老人ホームなどの施設に送り出すことを後ろめたく感じるのは、そろそろやめるべきではないでしょうか」

 

 

 

「明日は、50周年記念のコンサート。でも、今は、そのことを一切考えない。1か月公演でも、翌日のために喉をセーブしようと思ったことがない。その日は、その日で、精一杯歌う。最初から、ずっとそうしてきたのです」

 

 

北島三郎さんとも話した「歌い手としての幕引き」

 

 インタビューでは、1都市約1か月におよぶ座長公演に幕を引いた歌手の北島三郎さんとのことも話題に上がりました。

「北島三郎さんと2人で、『俺達、どこまで歌い続けるんでしょうね』と話したことがあります。お互いに、『歌えるところまで歌い切ろう』と話しましたね」

 半世紀にわたって歌い続けてきた前川さんの生き様を一言で表すと、まさに「今日1日を精一杯生きる」ということかもしれません。

「明日は50周年記念コンサートが神奈川県であるのですが、今、そのことは一切考えません。1か月公演でも翌日のために喉をセーブしようとも思ったことがないのです。その日はその日で精一杯歌い、翌朝、起きて喉の調子が悪かったら、そのとき、初めて病院へ行くか薬を飲むか考える。ステージでお客様には『いやあ、昨日のお客様はラッキーでしたが、今日の方はご愁傷様です。ごめんなさい。でも一生懸命歌いますね』といって歌うと、不思議なもので声の調子がよいときよりも、大きな拍手をもらえたりするのです(笑)」

 

※あいらいふ2018年11月号を再掲載したものです。

2018.11 あいらいふ 掲載

取材: 横井かずえ / 撮影: 近藤豊

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