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マイライフ・インタビュー

女優 松島トモ子さん

「介護は、一人ひとりに違う物語があり断定的な 助言は難しい。ですから、同じように介護をする私の 舞台を見て勇気を受け取ってもらえれば幸せですね」

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松島トモ子

1945年7月10日、満州国奉天に生まれる。父はシベリアで抑留されて他界。母と2人で満州から引き上げた。3歳でバレエを始め、レッスンの様子を放映した映画がきっかけで阪東妻三郎氏にスカウトされ4歳で子役デビュー。東映映画、『獅子の罠』を皮切りに、『鞍馬天狗』『丹下左膳』など80本の映画に出演し天才子役と称される。雑誌、『少女』では10年間表紙を務め、「トモ子ちゃんカット」が大流行する。現在も年に2回成城ホールでのコンサートを行う他、テレビや舞台、コマーシャルなどで活動。著書に、『母と娘の旅路』『車椅子でシャル・ウイ・ダンス』などがある。

4歳でデビューをした子役時代から、母親の志奈枝さんと二人三脚で活動をしてきた松島トモ子さん。今年のはじめ佐賀県神埼市の社会福祉大会などで96歳になったお母様の認知症の発症を告白しました。「親子心中をも考えた」という在宅での介護の生活を本誌の読者のために語ってくださいました。

 

「ケアマネジャーが、『介護は終わりの見えない戦い。仕事を辞めたら、逃げ場はなくなります』と諭してくれました。仕事の間は、介護の辛さを忘れることができるのです」

 

母親を見ていると「年を取ることは怖くない」と思えた

 

「今から2年ほど前まで、母を見ていて私は『年を取ることなど、何も怖くない』と思っていました。娘バカというのかもしれませんね。ですが母は何歳になってもヒールを履いておしゃれをして、『私が死ぬのは、トモ子ちゃんの立派なお葬式を出してから』が口癖だったのです」 
 95歳を迎えるまで認知症の気配もなかった母、志奈枝さんに、異変が訪れたのは2年半前。手首を骨折して装着していたギプスを、何度も自分で取ってしまうようになったのがきっかけでした。
「その頃、私はディナーショーにミュージカル、恒例の成城ホールコンサートと多忙でした。しかし、母がギプスを切ってしまう度に、病院へ連れて行ってはめ直してもらわなければなりません。いつもなら、一番に私の仕事を応援してくれるはずなのに、こんなに邪魔ばかりするのは変だなと感じたのです」
 違和感を覚えつつも、そのときは、「おしゃれな人だから、ギプスや包帯が嫌なのかもしれない」と自分を納得させていた松島さん。しかし、あるとき、無視することのできない決定的な出来事が起こりました。
「5月末に、母の誕生祝を兼ねて十数人の方と食事会をしました。母の大好きな方達に囲まれて大好物の中華料理を楽しんだのです。ですが母は、誰の話にも耳を傾けず、黙々と料理を口に放り込むだけ。『何かおかしい』と思った次の瞬間、母は失禁してしまいました」

 

 

尊敬していた母の見たこともない姿に感じた「自らの崩壊」

 

 ここから、志奈枝さんの様子は急速に変化していきます。「70年間、生活をともにしましたが、どんなときでも、母はレディでした。他人の悪口など聞いたこともない。そんな母が罵詈雑言を吐きながら手当たり次第に椅子や家具を倒して暴れまわる。尊敬していた母の見たこともない荒れ狂う姿を目の当たりにして、私の方が崩壊しそうでした」
 驚いた松島さんは、すぐに、かつて民生委員をしていた知人の1人に連絡を取りました。そこから地域包括支援センターに連絡、担当のケアマネジャー(宇佐見さん)が選定され、介護の生活が始まります。「包括支援センターという組織の名前も知らない状況からのスタート。まずは、介護認定となって調査員がくると、母はきびきびとして『家事も全部できます』と。心の中で『ウソばっかり』と思いました。面談後に調査員の方と2人きりで話そうと思ったのですが、母がどこまでも私についてきてチャンスがなく、結果として要介護1の認定になってしまったのです」

 

 

レビー小体型認知症の診断。区変で要介護4に認定された

 

 その後、かかりつけ医を認知症の専門医の方に改めると診断結果はレビー小体型認知症。それをもとに介護認定の区分変更を行うと、要介護4の認定がおりました。しかし、その後、レビー小体型認知症特有の幻視症状が松島さん親子を苦しめるようになったのです。
「お風呂に入っているときに急に飛び出してきて、『戦車がやってくる』と。母は満州からの引揚げの経験があり、そのときの恐ろしい幻を見ているようでした」
 別のときには、リビングの一角を指差して「そこにコートをきた怖い男がいる。トモ子ちゃん、警察に連絡して」ということも。その度に、松島さんは志奈枝さんをなだめるため、110番に電話するフリをしなければなりませんでした。 
 また、夜間の徘徊もありました。
「徘徊というには余りに早いスピードで、夜中に家を飛び出していくのです。私は母の部屋のドアの前に布団を敷いて、いつ出て行っても追いかけられるように何か月も服を着たまま寝ていました」

 

心身両面から支えてくれたのは、1人のケアマネジャー

 

 こうした生活を続けるうちに松島さんは、ストレス性のパニック障害と過呼吸で声も発することができなくなり、仕事を休まざるを得なくなりました。
「4歳から仕事を始めて、一度、引き受けたものは必ずやり遂げるのが私のプライド。ですが、介護が始まってからは大きな仕事もお断りせざるを得なくなりました」
 介護に奔走する松島さんを心身両面から支えてくれた1人に、ケアマネジャーの存在がありました。
「担当のケアマネジャーは、当初、『この親子は、絶対に離さなければならない』と感じたそうです。母はとにかく私の姿が見えないと暴れ出すので、そばにいることは互いのためにならないと」
 施設にとすすめられながらも在宅介護を続け、一時は、親子心中まで考えたという松島さん。しかし、次第に薬の効果があらわれて、志奈枝さんの症状は落ち付いていきました。
「母自身も、段々、薬を飲むと楽になれるとわかったようです。最初は『毒を飲ませるのか』と暴れていたのが、大人しく薬を飲むようになってくれました」

 

 

介護を始めた当初、仕事はきっぱり辞めるつもりでいたが…

 

 現在は、週に2回のデイサービスと訪問診療、訪問看護、親戚や通いの家事手伝いの人と協力しながら在宅介護をしています。加えて、松島さんに泊まりの仕事があるときはショートステイも利用します。
「初めてショートステイを利用したときは、心配で仕方がなく、途中で迎えに行きたい衝動に駆られました。ですが、ケアマネジャーから『あなた、本気で仕事に行く気があるの』と一喝されました」
 何度か利用するうちに、今では志奈枝さんもショートステイに慣れてきて、「仕方がないわね」という様子を見せるようになったといいます。
「ケアマネには、いつも『あなたは真面目過ぎる』といわれます。仕事のためだけでなく自分のリフレッシュにもショートステイを利用した方がよいと。ですが性分なのでしょうね。どうしても仕事ギリギリに預けて、終わると一目散に迎えに行ってしまうのです」
 介護が始まった当初、「仕事は、きっぱり辞めるつもりだった」という松島さん。
「とてもじゃないけれど、続けることはできないと思いました。ですがケアマネジャーが、『介護は、いつまで続くかわからない。終わりの見えない戦いなの。仕事を辞めたら、どこにも逃げ場はなくなりますよ』と諭してくれました。結果的に、仕事を辞めないことが、私にはよかった。仕事の間は、つかの間ですが介護の辛さを忘れることができるからです」
 志奈枝さんの症状は一進一退。日々、対応に追われて心が折れそうになることも。
「すごく調子のいい日もあれば、もうダメかもしれないと思う日もあります。夜、お風呂に入れていると『今が一番幸せ』というからほろりとしたら、『ところでトモ子ちゃんはいつ帰ってくるの?』と。私のことを近所の親切なおばさんか何かと思っているのでしょうね」

 

 

 

 

「永六輔さんや母のように、遅かれ早かれ誰でも車椅子が必要になる。目が悪ければ眼鏡をかける。車椅子に乗るのは、それと同じこと。その人の特徴の1つに過ぎませんね」

 

 

車椅子の永六輔さんと「シャル・ウイ・ダンス」

 

 障害のある人とない人がペアで踊る車椅子ダンスを20年以上、続けてきた松島さん。長年、親交の深かった永六輔さんが晩年、パーキンソン病になったときは2人で車椅子ダンスを披露しました。
「『せっかく車椅子になったのだから踊りましょう』と私が誘いました。付き添っていた義理の息子さんがハラハラして『トモ子さん、あんまり、まわすと身体に障りますから』と止めるほど踊りましたね」
 数々の車椅子ダンス選手権で優勝してきた松島さんが強く感じるのは、私達が「障害を特別なことと感じ過ぎている」ということ。
「永さんや母のように、遅かれ早かれ誰でも車椅子が必要になるのです。目が悪ければ眼鏡をかけるでしょう。車椅子に乗るのは、それと同じこと。その人の特徴の1つに過ぎません」
 松島さんはインタビューの中で「介護は十人十色、それぞれの物語がある」と繰り返しました。
「介護は、1人ひとりに違う物語があります。私がこうだったから、あなたもこうしたらというのは意味がありません。ですが私自身が介護をしながらコンサートや舞台を続けることで、それを見てくださった方が少しでも勇気を受けとってくださったら、こんなに幸せなことはありませんね」

 

※あいらいふ2018年12月号を再掲載したものです。

2018.12 あいらいふ 掲載

取材: 横井かずえ / 撮影: 近藤豊

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